2008年1月記


はじめに

私は、2008年1月7日に日本を発ち南アフ リカの大使館に寄り1月9日にナミビアに来ました。青年海外協力隊の一員として2年間、ここナミビアで生活する事になります。ナミビアでの生活の様子を皆様に伝える事により、ナミビアの事を知ってもらい、ナミビアに興味を持って貰い、いつかはナミビアに観光で来て貰う事が出来ればと思っております。ナミビアで生活予定の2年間、毎月更新をしたいと考えております。

※青年海外協力隊は国からの派遣のために赴任時は大使館へ挨拶する事になっているが、ナミビアには日本大使館が無く、南アフリカ共和国の大使館の管轄となっている。

私の紹介

昭和53年長野県伊那市に生まれ高校卒業まで伊那市で育つ。入試の直前は遊びすぎて勉強が疎かになり大学受験に失敗して1年間東京で一人暮らし。1年後に、やっと大学に合格して4年間を茨城県で過ごす。大学時代は自転車に励む。朝5時起きで練習の日々であった。就職活動もせずに、推薦で通信会社に入社。配属は大阪であった。入社して1年目が人生の中で一番勉強をした時期だったと思う。結局、関西にて5年半過ごす事になった。30歳を前に何か別の世界を経験したくなり、青年海外協力隊に応募を思い立ち、応募してナミビアに派遣される事になった。

ナミビアとは


ナミビアは南アフリカ共和国の北西にある国で国土は日本の2.5倍の広さがあります。しかし人口は200万人でに日本の人口の1/60であり非常に人口の少ない国であります。首都はビントックと言う町で国の人口の1/10が住んでいます。貧困の差がとても激しい国でもり、失業率も40%ととても高い国です。しかし、見ていると貧困層の人も笑顔があり、何とかして生活している様に見受けられます。危険な町も一部あると聞きますが、首都を含め多くの町は安全です。良くアフリカでは夜、一人で歩くのは危険だと言われますが、この国では普通に歩いても襲われる事は無いです。また、店に鉄格子が無いのも特徴の一つです。多くの他の国では、夜に強盗に入られない為に、鉄格子を設けていますが、この国の店には鉄格子がありません。 この国に来て、もう一つ意外に思えたのは、電気は安定しているし、水道も蛇口をひねれば水が出るしと、生活をする上での問題点が少ないと言う点です。電気が安定していると言う事で、電化製品も普通に購入する事が出来ます。 気候については、首都のビントックは標高1600の場所に位置します。なので、昼間は暑いのですが、夜になると涼しくなります。また湿度も低いので、生活はしやすい環境です。

ナミビアへ・・・

青年海外協力隊には派遣前訓練と言う物があり、訓練を終了しないと、正式に派遣されません。なので訓練中は、候補生と言う肩書きになります募集は1年間に春と秋の2回行われて、派遣は年に四回実施されます。私は19年度の3次隊と言うグループで訓練を2007年の10月から受けました。訓練所は長野県の駒ヶ根市と福島県の二本松市にあり、派遣予定国によって、どちらの研修所がきまります。私は、あいにく二本松の研修所で訓練を受ける事になりました。朝7時から朝の集いと言う物が日曜日以外あり、月曜日から土曜日まで語学の授業があります。夜は外出は可能ですが、門限が10時となっております。そして消灯は11時となる規則正しい生活でした。それまで朝飯は食べない、夜は遅いと言う生活をしていた自分にとっては、とても天国のような環境でした。 65日間の訓練は、とても充実して過ごす事が出来たと思います。ボランティアとしての参加でありますが、何を目的に参加しているかは人それぞれです。本当にボランティアについて考えている人や、自分みたいに、何となく新しい事をしたいと言う単純な思いで参加する人まで様々です。しかし、感じた事は、皆同じベクトルに向かっていると感じました。後ろ向きな人が居ない環境はとても居心地が良いと思います。社会人時代、近くに後ろ向きな考えをする人が居るだけで仕事がやり辛い事がありました。それを考えると、ここでの出会いは良い物であると思いました。 さて、訓練が終わると通常は10日前後で出発となりますが、この隊次に於いては、年末年始を挟むので出発まで余裕がありました。その期間に、市や県への表敬訪問や色々の挨拶、旅行、出発の準備を整えました。
応募の際に希望は3つまで書く事が出来ますが、実際にナミビアは希望していた国ではありませんでした。ナミビアと聞いて、どこにある国か想像つきませんでした。すぐにインターネットで確認しました。徐々に色々な情報が入ってくるのですが、実際に体験してみないと分からない点は多々あります。なので、出発がとても楽しみでした。既にナミビアでボランティアをしている方とも連絡を取ったりしていて、どんな所かを教えてもらっていました。その内容では、とても安全な国であり、ただ物価は高いと言う物でした。 日本からナミビアまでは、とても遠かったです。成田空港から香港経由で南アのヨハネスブルクまで向かいました。それぞれ5時間と13時間のフライトでした。幸い寝る事が出来たので、それ程疲れませんでしたが、それでも大変でした。 南アで一日過ごし、ただ南アは危険なので、大使館への挨拶以外は家の中でしたが、その後また飛行機でナミビアに向かいました。 南アからナミビアまでは2時間でした。 ナミビアの空港は、何も無い日本の地方の空港みたいでした。土地の広大さが身にしみて分かりました。

空港から首都までは60キロ離れております。車で40分程度の所です。首都までの間は何も無い(背の低い木が生えている)所をずっと走りました。首都に入った瞬間、家が見え始め、発展途上国と思えないくらいの建物を見ることが出来ました。

首都Windhoek

ナミビアに1月9日に着いて2月5日までの約1ヶ月間は首都のJICA事務所で更に語学訓練を受ける。それまでの間に、ナミビアについて慣れなければならない。実際はなれるというか、日本に居る時と余り変わらない状況だ。治安は良いし、天候は良いし。日本が冬に対して、こちらは夏なので暑いと言うくらいか。 ナミビアでの食事といったら肉である。ナミビアに着いた日には肉を食べれる店に行きました。そして、洗礼のGame Meatを食べる事になりました。

結局、食べきる事は出来ませんでした。 さて、貰える生活費は1ヶ月でUS$600(1US$=7N$)です。ナミビアに来る前は、発展途上国でこんなに貰えるのかと思っていましたが、こちらに来て感じた、物価が高いと言うことに。普通にレストランに行くとN$100(1N$=17円)くらいはかかる。なので節約をしないといけない。 同期の隊員は男3名であるが、その中で料理が得意な隊員が居た。それが救いであった。色々な料理を作って貰えたお陰で節約する事が出来た。


レストランへ行くと肉しか食べれないが、自炊をすれば野菜もいっぱい食べる事が出来る。野菜の物価も日本と同じくらいである。

旅行1

同期隊員は3名で揃って旅行が出来るのは、首都に居る間だけであろうという事で、土日には旅行に出かけた。最初の土曜日はナミビアに着いてから3日目にやってきた。思い切って遠くに出かけようと言う事になった。コンビバス(ミニバス)に乗り込んでWalvis Bayと言う町に向かった。首都から389キロ離れている場所である。コンビは時速100キロくらいで走るので4時間くらいで着いた。僕たちは旅行が目的で、現地で何をするかの目的は何も無かったので、着いて何をするか悩んだ。先ず寝る事を探した。一番安い所に連れて行ってくれとタクシーの運転手に頼んだ。1軒目で一人N$100で泊まれる所を見つけることが出来た。

その後は、町をぶらぶらした。海に面した町なので海岸を見に行った。色々な鳥を見る事が出来た。ペリカンや、フラミンゴがたくさんいた。 その翌日は、30kくらい離れている隣街のSwakopmundと言う街へ行った。タクシーで移動をしたが、結構安かった。そこも海沿いの町でとても綺麗だった。 近くが砂漠で砂漠まで歩いていき、砂漠の山に登った。海も見る事が出来、砂漠も見る事が出来、とてもよかった。

ナミビアの海は、寒流が流れてきて、基本的に水は冷たく、海水浴場と言う物は無いが、Swakopmundでは、暑かったのか、水浴びをしている人を見る事が出来た。行きはコンビで行ったので、帰りは鉄道で帰ろうと言う事になった。コンビだと4時間程度だが、鉄道では、10時間くらいかかる。夜の8時くらいに出て、翌朝に首都に着く感じである。電車を待つ間に、綺麗な夕日を眺める事が出来た。

いざ、電車が着てみると、満車であった。予約をしないといけなかったみたいだ。でもそんな事は知らなかった。夜遅くには、コンビバスも走っていない。翌日は英語の授業がある。僕たちは迷って、タクシーに交渉する事になった。3人でN$1100で首都まで走ってくれる事となった。ナミビアに来て4日目でのトラブルであった。 結局、首都には夜の1時過ぎに着く事が出来た。

続きは2008年2月記へ・・・